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​アジアに広がる音の地図

CHANGO WALK インタビュー

太鼓を叩き歩いて2500Km

チェジェチョルの旅の原点に触れる

聞き手 高橋亜弓(郷土芸能ライター)

2021年 2月 22日

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「ちょっと待って、ここ、いいポイントだから」

そこは一見何もない、誰もいない、人の往来さえすっかり薄れた鈴鹿山中の旧東海道。

談笑しながら山道を歩いていた次の瞬間に、ふっと動作を制される。

じっと目を瞑り何かを探る素振りを真似て、困惑しながらも私も耳を澄ます。

すると彼はおもむろにチャンゴを叩き出した。

繊細なバチ捌きで「タラララ…」と流れるような音。水だ。

太鼓の音を通して水の音に急にピントが合う。

ふっと目をやるとそこには、さっきまでまるで意識していなかった小川が流れていた。

くねくねと蛇行していて静かに複雑に絡み合うような水流が生まれている。

「ここねー。まっすぐの早い流れと、カーブがあって遅い流れがあるでしょ。それと、流れが壁に当たって渦巻いてるとこと。ここの三箇所の音の組み合わせがね、最高。すごい楽器なんだよねー。」と、そう言って気持ちよさそうに小川の伴奏を務めだす。

気づけば風に揺れる木々のざわめきや、踊る木漏れ日、その場にある全てとの合奏が始まっていて、まるで小さな野外演奏会が開かれているかのように、重層的な音に満ち満ちていた。

旅の中で、目に見える景色の移ろいを楽しむかのように、彼はその土地の音の世界を敏感に感じながら旅をしている。

音で地図を描くかのように世界を旅をする人。

これはなんだかえらい人間に出会ってしまったぞ…、と背筋がひりついた。

私が彼、チェ・ジェチョルの得体の知れない才能に触れた瞬間だ。

チャンゴ叩き チェジェチョル

1979年大阪に在日韓国人三世として生まれ、現在は韓国太鼓(チャンゴ)奏者として国内外で活躍しつつ『チャンゴウォーク』と題した、チャンゴと身ひとつで旅をする叩き歩きの活動を行っているチェ・ジェチョルさん。2009年に東海道五十三次(東京〜京都)歩破、2010年に西日本横断(京都〜博多)、そして2015年には東京~大阪、博多、釜山~星州(ソンジュ)の計約700キロ道のりを経て、父方の故郷の地までチャンゴを叩き歩きました。その後も2016年東京~富士山~東京、2017年富士山登頂、2018年三陸(大船渡~八戸)の叩き歩きを実現。本記事ではインタビューを通してチェさんがチャンゴと出会った経緯やなぜチャンゴウォークを始めたのかという動機や背景に迫ります。

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韓国太鼓 杖鼓:チャンゴ(チャング)
韓国朝鮮半島の伝統音楽や芸能で、リズムの中心的な役割を担う打楽器。庶民のお祭りやシャーマンの儀礼、宮中での音楽など様々な場面で使われる。竹の幹と根で出来たバチで異なる音程の打面を鳴らし、天地陰陽のリズムを奏でる。


 

チャンゴ杖鼓との出会いと

新宿アルタ横での路上演奏

聞き手:2015年旧東海道のチャンゴウォークの際、私も途中の5日間同行させていただきましたが、これほど自分を取り巻く「音」というものに敏感になる日々はありませんでした。チェさんが鈴鹿山中で黙って立ち止まって耳をそば立てたとき、はじめ何かケモノでもいたのかと思いましたよ(笑)

チェさん(以下、チェ):あそこは今まで二回行ってるんだけど、変わらずいい自然の楽器なんですよね。

 

聞き手:本当にあの時はすごい人に出会ったと思ったものです。このインタビューではそんなチェさんの活動の背景に迫りたいと思っているのですが、そもそも、チェさんがチャンゴに出会ったきっかけはどこにあったのでしょう?

チェ:大学を卒業してすぐくらいの時に、韓国打楽器音楽「サムルノリ」のCDに出会って、それにとんでもない衝撃を受けてしまったんです。カラダの内側にある濁ったものが、強烈な打楽器の音楽に触れて一気にカラダの外側に溢れ出るみたいな、そんな感動。当時取り組んでいたプロジェクトで大きな挫折を経験した最中だったということもあって、将来に対する不安や喪失感が、リズムに掻き消されるように思ったんです。もうそのすぐ翌日には、全く経験もないのにチャンゴを買いに行ったくらい、取り憑かれたみたいになってしまって。

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サムルノリ(四物遊戯)

1978年に結成された韓国伝統打楽器の芸能グループ。四巨匠「キムドクス、キムヨンベ、イグァンス、チェジョンシル」の初代メンバーらが、韓国の民俗芸能「プンムル(農楽)」の音楽や芸能を舞台芸術作品として再構成し国際的に人気を博した。後に韓国打楽器アンサンブルの、一つの音楽ジャンルとなり、世界的にもサムルノリ愛好者が多い。

聞き手:未経験なのに即楽器を買いに行くほどの原動力になるなんて。よほどの衝撃だったのでしょうね。

チェ:ですね。でも当時はCDで聴いただけだったから、買ったは良いもののバチの扱いも叩き方も一切知らないし、何をどう演奏したら良いのか分からなくて。お店の人に相談して、ある韓国舞踊研究所のサムルノリチームを紹介してもらったんですよ。
そこに通いつつも自主練習を続けていたわけなんだけど、それにかかるスタジオ代ってバイトしながらだとなかなか高くて。外でも演奏できる場所を探し回って、最終的に新宿東口のアルタ横の路上。当時は映画の看板があって、その下で練習を始めました。

聞き手:ええっ新宿アルタ横で。警察から注意されなかったのですか。

チェ:周りが十分うるさいから平気でした(笑)よく終電まで練習したかな。といってもリズムとか全然分からない状態だったんだけれども。CDで聴いたものと、チームで教わった基本リズムだけを頼りにひたすら叩いてました。

聞き手:これといった演奏ができる状態でもない中で、手探りで人前でチャンゴを叩くなんて。すごい。

チェ:むしろ車の行き来する音とか街の雑踏と、自分の叩く太鼓の音が重なり合って行くことに、なんとも言えない安心感があったんです。体の根っこ、自分の真ん中に沸沸と湧いているものがあって、それがチャンゴとうまく結びついていたんだと思う。新宿で遊んでいる人や、これから出勤する人とか、チャンゴをきっかけにいろんな人たちといろんな話ができて。


当時の思い出としては、ある時、長い黒塗りのベンツが僕の前で停まって、スモークのウィンドウが開いたと思えば、強面のお兄さんに「うるせーぞ、このヤロー!」って怒鳴られて、ひー怒られる!と思ったら、「頑張れ、このヤロー!」って励まされたりもしたり(笑)


タクシーに乗った知らないオバちゃんが、窓からカラダを乗り出して「分かってるからね!分かってるから!」って通りがけざまに何度も言われたり。何が「分かった」のか、僕にはよく分からなかったけれど(笑)

聞き手:何か音やリズムを通じて共感するものがあったのでしょうね。

チェ:新宿にはいろんな人種と境遇と、想いを持つ人がいたから、自分の気持ちだけじゃなくて相手とも太鼓の音で繋がって行って、それでやりとりが出来るというか。そういう側面があったんだと思いますね。

チャンゴの背景を探る

その後、韓国でのサムルノリ修行を終え、帰国していたばかりの韓国打楽器演奏家リチャンソプ先生を紹介され、本格的にレッスンを受けることになったというチェさん。先生とともに発表演奏を行うとともに、チャンゴのリズムを基にした曲にギターやピアノ、ドラムといった西洋楽器を取り入れたアジアンソウルバンド「木蓮」を結成し、都内ライブハウスを中心にバンド演奏活動も並行して開始。チャンゴの可能性にますます魅了されていったという。

聞き手:徐々に今のチェさんの活動につながってきましたが、ここですでに今の叩き踊りのスタイルは確立していたのでしょうか?

チェ:いやいや、全然ですよ。それまで基本的に、チャンゴを座って叩くものとして教わっていたし、ライブでのチャンゴ演奏は単純にそれを立ってやっていただけだったから。サムルノリは韓国のプンムル(農楽)等の民俗芸能を舞台化した演目で、地域のリズム特色が強くて、それを一曲ずつ習ってました。僕が通っていた練習場が北千住にある地下の地域会館。そこで、ヨンナムカラッは慶尚道(キョンサンド)あたりの山間部の跳ねるリズム、逆にウドカラッは全羅道(チョルラド)側は平野部のなだらかなリズムです、と解説を受けても、それまで韓国に行ったことが無かったんで、全然イメージが湧かなくて正直モヤモヤしていました。「どうしたもんかな~」と葛藤しているうちに、リ先生の当時のクラスが終了となりました。バンド演奏を続けていく中で、仙波清彦さんをはじめ音楽業界のトッププレイヤーと出会っていた時期だったこともあり、自分のチャンゴ演奏を昇華させるには、自分で新しい先生を見つけて、門を叩いて弟子入りしなきゃダメだと思ってました。

 

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プンムル(農楽)
ケンガリ(小鉦)、チン(銅鑼)、チャンゴ(杖鼓)、プッ(太鼓)などの打楽器やテピョンソ(ラッパ)を鳴らしながら踊り、練り歩く韓国朝鮮半島の民俗芸能。農民たちが豊作や豊漁を祈願したり、収穫を祝ったり、時には仕事の疲れを癒すなど、朝鮮半島の人々の生活と深く関わりながら発展してきた伝統芸能。

聞き手:ご自身の技術的にも、取り巻く環境的にも、大きな転換期を迎えていたんですね。

チェ:そうですね。丁度その頃、京都「素夢子」で舞踏家・田中泯さんと共演させていただく機会に恵まれて。もう、衝撃の一言でした。それまでやってきたことを全部提示してみたけれど、泯さんの前では全く通用しなくて。自分の力の無さ、芸の無さを痛感して、これは参ったと思ったのが28歳。
泯さんは、どうやって今の表現を確立したんだろうと「素夢子」の誉田屋さんに相談したら、泯さんはもともとバレエダンサーだったんだけれど、踊りや音の「そもそも」とは何なのか探るために、山梨の山に入って井戸を作るところから始めたと。穴を掘って土の中に入るところから踊りを見つめたという話を聞いて、大きな衝撃を受けたんです。自分はチャンゴを演奏という目線で向き合っているけれども、じゃぁチャンゴって何だろう、韓国のリズムって何だろう、自分は何に触れているんだろう?っていうクエスションが、自分の中で大きくなったんですね。

聞き手:チャンゴやそのリズムが本来持っているものや、その背景への関心が強くなったわけですね。

チェ:はい。サムルノリの原点であるプンムル(農楽)は太鼓を歩きながら叩いて門付けを行う芸能だと教わりました。加えてサムルノリの初代の先生たちは、ナムサダンと呼ばれる流浪の芸能集団出身で、子供の頃から韓国中をとにかく歩いて回っていたようなんです。
僕が習っていたリ先生は、ナムサダン出身のイグァンス先生の弟子としてドライバーも務めていたみたいで。イグァンス先生は車の後部座席で寝て休んでいるんだけど、道路標識を見ないで「次、左」「あともうちょっと行ったら右」とか指示をされていたらしいです。

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ナムサダン(男寺党)
男性数十人のグループで、朝鮮半島各地を旅した芸能集団。立ち寄った村で、ナムサダンノリとされる農楽や仮面劇、人形劇、曲芸、綱渡りなどの芸を披露する興業を行い生計を立て、寺を中心に芸能生活を行った。

聞き手:ええ、すごい。地元でもないのに道が分かっていたと?

チェ:そう聞きました。ナムサダンだった当時、その辺りも歩いていたそうなんです。だから山の形状とか橋とかで、土地を認識されていた。そういう人たちがつくってきたリズムで、それがサムルノリなんだよ、というのをリチャンソプ先生に教わりました。

ならば、これは自分も歩かないと始まらないなと思って。じゃぁどこを、となった時に、先ず韓国の太鼓だから、韓国の色んな所を太鼓を叩きながら歩いてみたい!と考えたんです。

聞き手:ルーツである韓国各地の文化を自分の体と楽器を通じて学びながら、チャンゴに出会い直す旅をしたいと考えたんですね。

チェ:その通りです。韓国で、大学の国楽(伝統音楽)科に入って学術的に勉強する、ということではなくて。僕は在日コリアンとして生まれ育ったから韓国で住んだ経験がないし、韓国の土地勘がない。だから向こうに行って歩いて放浪する旅をしながら学ぶことを思いついたんです。


加えてこれには前談があって。演奏仕事で大阪へ行った帰り、試しに熊野古道をリュック背負ってチャンゴ担いで叩き歩いて見たんです。生まれて初めての山道での叩き歩き。そしたら、これがもう面白すぎて驚愕でした。地下の練習場で「このリズムは山間部で生まれたものだから、跳ねる!」と教わっても、その『跳ね』が全然理解できなかったのが、山道登りながらチャンゴを叩いたら、自然と跳ねるリズムになったのです。なんだ!これか〜!!と思って。

聞き手:おお〜!

チェ:それまで叩いてた新宿アルタ横や、スタジオや舞台と違って、歩いていると突然坂道が現れたりする。だから急な環境変化で叩けなくなるかと思いきや、逆にそれまで以上に自然に叩けて。先生が伝えたかった山間部のリズムはこれかもしれない!と確信したのを覚えています。ここで「タ!」って、右手がうまく入るじゃん!あんなに頭でっかちに修正かけてたものは、何だったんだ...って。
上りの山に入ってチャンゴを叩いた時に一発で思い描いた音とリズムが出て。そして坂を上り切って平地に出たら自然とリズムが変わった。おおそうか、上りと平地で全然違うんだ、地面の形状で自分が叩いているリズムが全部変化する、地面に自分が影響されているんだというのを感じて、なおさら韓国を叩き歩かなきゃと思って。チャンゴウォークの準備を少しずつ始めていったんです。

聞き手:出発前からチャンゴへの理解を深める体験と明確なビジョンがあったのですね。

チェ:その時はまだ、チャンゴウォークって名前もつけていなかったけれど。とにかくフラットな地面では無いところ、自然の隆起がしっかりしたところで、「自分と太鼓」だけでは無くて、さらにそこに地面、木、川、石、そういういった対象物に囲まれる環境の中で太鼓を叩く練習をしなきゃダメなんじゃ無いかなと感じるようになりました。
そうこうしているうちに、バンド木蓮の映像を撮影してくれてた友人のちょもさんに考えを話したら「韓国のいろんなところを太鼓叩いて歩くのもいいけど、チェ君、それ家からやろうよ。せっかく日本に生まれ育ったんだから、日本のことも知ったほうがいいよ」とアドバイスをもらいました。それを聞いて、歩き旅が一般的だった時代のメインロード、旧東海道を先ずは歩ききるところから始まって行ったんです。

CHANGO WALK  インタビュー

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