Chango Walk  インタビュー 

韓国太鼓 チャンゴ 叩き歩きの旅 

聞き手 高橋亜弓(郷土芸能ライター)

「ちょっと待って、ここ、いいポイントだから」。

そこは一見何もない、誰もいない、古の人の往来さえすっかり薄れた鈴鹿山中の旧東海道。

談笑しながら山道を歩いていた次の瞬間に、ふっと動作を制される。

じっと目を瞑り何かを探る素振りを真似て、困惑しながらも私も耳を澄ます。

すると彼はおもむろにチャンゴを叩き出した。

繊細なバチ捌きで「タラララ…」と流れるような音。水だ。

太鼓の音を通して水の音に急にピントが合う。

ふっと目をやるとそこには、さっきまでまるで意識していなかった小川が流れていた。

くねくねと蛇行していて静かに複雑に絡み合うような水流が生まれている。

「ここねー。まっすぐの早い流れと、カーブがあって遅い流れがあるでしょ。それと、流れが壁に当たって渦巻いてるとこと。

ここの三箇所の音の組み合わせがね、最高。すごい楽器なんだよねー。」と、そう言って気持ちよさそうに小川の伴奏を務めだす。

気づけば風に揺れる木々のざわめきや、踊る木漏れ日、その場にある全てとの合奏が始まっていて、

その場が小さな野外演奏会が開かれているかのように、重層的な音に満ち満ちていた。

旅の中で、目に見える景色の移ろいを楽しむかのように、彼はその土地の音の世界を敏感に感じながら旅をしている。

音で地図を描くかのように世界を旅をする人。

これはなんだかえらい人間に出会ってしまったぞ…、と背筋がひりついた。

私が彼、チェ・ジェチョルの得体の知れない才能に触れた瞬間だ。

1977年大阪に在日韓国人三世として生まれ、現在は韓国太鼓(チャンゴ)奏者として国内外で活躍しつつ、チャンゴウォークと題した、チャンゴと身ひとつで旅をする叩き歩きの活動を行っているチェ・ジェチョルさん。2009年に東海道五十三次(東京〜京都)歩破、2010年に西日本横断(大阪〜博多)、

そして2015年には東京~大阪、博多、釜山~星州(ソンジュ)の計約700キロ道のりを経て、父方の故郷の地までチャンゴを叩き歩きました。その後も2016年東京~富士山~東京、2017年富士山登頂、2018年大船渡~八戸間の叩き歩きを実現。本記事ではインタビューを通してチェさんがチャンゴと出会った経緯やなぜチャンゴウォークの動機や背景に迫ります。

学生時代の挫折とチャンゴとの出会い

聞き手:2015年旧東海道のチャンゴウォークの際、私も途中の5日間同行させていただきましたが、これほど自分を取り巻く「音」というものに敏感になる日々はありませんでした。チェさんが鈴鹿山中で黙った立ち止まって耳をそば立てたとき、はじめ何かケモノでもいたのかと思いましたよ(笑)

チェさん(以下、チェ):あそこは今まで二回行ってるんだけど、ずっと変わらずいい楽器のままなんだよねー。

 

聞き手:本当にあの時はすごい人に出会ったと思ったもんですよ(笑)このインタビューではそんなチェさんの活動の背景に迫りたいと思っているのですが、そもそも、チェさんがチャンゴに出会ったきっかけはどこにあったのでしょう?

 

チェ:僕は小中高と在日コリアンが通う民族学校に通っていて、そこで音楽の先生のチャンゴ演奏を聴くことはあったんだよね。でも機械的なリズムで当時はあまりかっこいいとは思わず、興味も持てなかったです。

その後、特にチャンゴとの接点もなくそのまま日本の大学に進学して。大学では和服のリメイクに熱中して、当時の仲間とファッション関係の学生企業家を目指して特に就職活動もせず進めていたの。だけど学生ノリだったもんだから結局うまくいかなくて、挫折したました。

すでに就活も間に合わず苦悩していた中で、たまたま映画「ダンサー イン ザ ダーク」を見て。映画の中で、主人公のビョークがつらい生活の中で、リズムを叩いたり踊る夢想をする姿にものすごくグッときたんだよね。自分を重ねていたんだと思う。それから何度も繰り返し見て、自分も音に合わせて手拍子を叩いたり手踊りをしたりして、ああ、リズムっていいなぁと。振り返れば幼い頃、親に連れて行かれて見た韓国のパーカッション演奏があったなと思って、当時住んでいた新大久保のすぐ近所のCDショップに行って。そしたらキムドクス先生の韓国打楽器音楽「サムルノリ」CDに出会って、さらにとんでもない衝撃を受けてしまったの。もうそのすぐ翌日には、まったく経験もないのにチャンゴを買いに行きましたよ。「ダンサー イン ザ ダーク」に出会ってから、その間5日くらい(笑)

 

聞き手:なんだかすごい怒涛の流れですね。未経験なのに即楽器を買いに行くほどの原動力になるって相当ですよ。

 

チェ:いやー、本当にそう(笑)もうこれは絶対やらなきゃ!と、取り憑かれたみたいになってしまって。

「これで社会でやっていくんだ!」と全力を注いだ学生時代のプロジェクトが頓挫してしまった中で、心の拠り所になるものが欲しかったというのもあったんだと思う。体にピタッと寄り添うチャンゴの存在が、道具であり仲間であり、救いだったんじゃないかなぁ。

20代前半、新宿アルタ横での路上演奏

チェ:でもCDで聴いただけだから、バチの扱いも叩き方も一切知らないし、何をどう演奏しているのか分からなくて。お店の人に相談して東久留米の韓国舞踊研究所のサムルノリチームを紹介してもらったんだよね。

そこに通いつつも自主練習を続けていたわけなんだけど、そのために借りるスタジオ代ってバイトしながらだとなかなか高くて。外でも演奏できる場所を探して回って、最終的に新宿東口のアルタ横におちついた感じ。当時は映画の看板があって、その下で練習を始めたの。

 

聞き手:ええっ新宿アルタで。警察から注意とかされなかったんですか。

 

チェ:すでに周りが、うるさいから平気だったの。(笑)終電までそこで練習して。チャンゴの練習と言っても、リズムとか全然分からない状態だったんだけどね。CDで聴いたものとチームで教わった基本リズムだけを頼りにひたすら叩いてましたよ。

 

聞き手:これといった演奏ができる状態でもない中で、手探りで人前でチャンゴを叩くなんて。すごい。

 

チェ:むしろ、車の行き来する音とか街の雑踏と、自分の叩く太鼓の音が重なり合って行くことに、なんとも言えない安心感があったんだよね。体の根っこ、自分の真ん中に沸沸と湧いているものがあったらしくて、それがチャンゴとうまく結びついていたんだと思う。新宿で遊んでいる人とかこれから出勤する夜の仕事の人とか、チャンゴをきっかけにいろんな人たちと、いろんな話ができてね。

ある時、長ーい黒塗りのベンツが僕の前で停まって、スモークのウィンドウが開いたと思えば、ヤのつくお兄さんに「うるっせーぞこのヤロー!」って怒鳴られて、うわー怒られる...と思ったら、「頑張れこのヤロー!」って励まされたりもした。

タクシーに乗った知らないオバちゃんが、わざわざ窓からカラダを乗り出して「分かってるからね!」って通りがけざまに何度も言われたり。何が「分かった」のかよく分からなかったけど、色々ありましたよ。(笑)

 

聞き手:何か音を通じて共感するものがあったのでしょうね。

 

チェ:新宿にはいろんな人種と境遇と、いろんな想いを持つ人がいたから、自分の気持ちだけじゃなくて相手の気持ちとも太鼓の音で繋がって行って、それでやりとりが出来るというか。そういう側面があったんだと思いますよ。

チャンゴとは、リズムとは何か

その後、サムルノリ修行を終えて日本に帰国していたばかりのリチャンソプ先生(在日3世)を紹介され、本格的にレッスンを受けることになったというチェさん。先生とともに発表演奏を行うとともに、チャンゴのリズムを基にした曲にギターやピアノ、ドラムといった西洋楽器を取り入れ、音楽仲間とバンド「木蓮」を結成し、都内ライブハウスを中心にした演奏活動も並行して開始。チャンゴの可能性にますます魅了されていったという。

 

聞き手:徐々に今のチェさんの活動につながってきましたが、ここですでに今の叩き踊りのスタイルは確立していたのでしょうか?

 

チェ:いやいや、全然。それまで基本的には座って叩くものを教わってたし、ライブでのチェンゴ演奏は単純にそれを立ってやってただけだった。サムルノリは韓国の農楽(プンムル)等の民俗芸能を舞台化した地域色の強い作品で、それを一曲ずつ習っていったわけなんだけど、そのレッスン会場が北千住の地域会館の地下室。そこで、この曲はヨンナムカラッ、つまり慶尚道(キョンサンド)あたりの山間部の跳ねるリズムだから〜とか、逆に全羅道(チョンラドウ)側は平野部だから〜とか言われても、正直イメージが湧かなかったかなと。「なんだかな〜」と葛藤しているうちに、リチャンソプ先生のレッスンやグループが解散になりました。

 

バンド演奏を続けていく中で仙波清彦さんはじめ音楽業界の尊敬する諸先輩に出会っていた時期だったのもあって、自分のチャンゴ演奏を昇華させるには自分自身で新しい先生を見つけて、門を叩いて弟子入りしなきゃダメだと思うようになりました。

聞き手:自分の演奏内容や技術的にも、周囲の環境的にも、大きな転換期を迎えていたんですね。

 

チェ:そうです。そしてその頃、京都にある韓国茶房「素夢子」で、舞踏家・田中泯さんと共演させていただく機会に恵まれて。もうそれは衝撃でしたよ。それまでやってきたことを全部提示してみたけど、田中泯さんの前では全く通用しなくて。自分の力の無さ、芸の無さを痛感して、これは参った…と思ったのが27,8歳。

 

泯さんってどうやって今の表現を確立したんだろうと、イベント主催者の方に話しを伺ってみたら、泯さんはもともと西洋舞踊家だったのだけど、踊りや音の「そもそも」とは何ものであるか遡って、山梨の田舎に行き井戸を作るところから始めたと聞きました。穴を掘って土の中に入るというところから踊りを見つめたっていう話を聞いて、大きな衝撃を受けました。自分はチャンゴを演奏という目線で向き合っているけれども、じゃぁチャンゴって何だろうな、韓国のリズムって何だろうな、自分は何に触れているんだろう?っていうクエスションが自分の中ですごく大きくなりました。

 

聞き手:チャンゴやそのリズムが本来持っているものへの関心が強くなった。

 

チェ:サムルノリの原点である農楽(プンムル)は太鼓を歩きながら叩いて門付けを行う芸なんですけど、サムルノリの先生たちや、ナムサダン:男寺党(プロフェッショナルな放浪芸能集団)と呼ばれる人たちは、昔、基本的に歩いて韓国中を回っていたんだよね。

僕が習っていたリチャンソプ先生は、ナムサダン出身のイガンス先生の弟子で、ドライバーをしていたそうで。イガンス先生は車の後部座席で寝て休んでいるんだけど、道路標識を見ないで「次、左」「あともうちょっと行ったら右」とかいってたらしいんです。(笑)

 

聞き手:ええ〜すごい。地元でもないのに道がはっきり分かっていたと?

 

チェ:そうみたい。『イガンス先生も子供の頃、ナムサダンで活躍されてて、その辺りも歩いていたそうなんだよね。だから山の形状とか橋とかで、土地を認識していた。そういう人たちがつくってきたリズムだったんだよね。それがサムルノリなんだよ』というのをリチャンソプ先生に教わっていたから、ああこれは自分も歩かないと始まらないなと思いましたよ。

じゃぁどこを歩くのか?となった時に、韓国の太鼓だから韓国全土を太鼓を叩きながら歩きたな!と考えました。

 

聞き手:ルーツである韓国各地の文化を自分の体と楽器を通して学びながら、チャンゴに出会い直す旅をしたいと考えたんですね。

 

チェ:まさにその通り。韓国の大学で伝統音楽を勉強する、とかそういうことではなくてね。祖父は韓国で生まれたから、僕の血は韓国人であることは間違いないんだけれど、在日コリアンとして生まれ育ったから韓国に住んだ経験がない。だから向こうに行って歩きながら放浪する旅をする中で韓国をインストールしたいと、思いつきましたよ。

 

 

聞き手:ちなみに、チャンゴに出会うまで韓国に行ったこと、行ってみたいと思ったことはなかったんですか?

 

チェ:正直、無かったです。在日コリアン、ニューカマー、帰化人、現地韓国人、北朝鮮の人。血は朝鮮&韓半島で一緒だし、そしてルーツもひょっとしたらそんなに違いは無いのだけれど、今住んでいる国や場所によって、いろんな人たちが自分たちの想いとは別のところでカテゴライズされてしまい、生きづらい生活を送っていたというのが日本の在日コリアンの背景にあって。

そういう揺れているアイデンティティーの問題から僕はとにかく距離を置きたかった。だから民族学校も高校まで行ったけど日本の大学を卒業して。そして、そのままうまくいけば「日本人」として和服のリメイクを生業として生きて、帰化する可能性についても考えていたわけです。日本人として日本で生きていく選択をしようと、していたと思うんです。だから、韓国に行きたいとは、思いつかなかったですよ。

 

聞き手:そうするとむしろチャンゴもチェさんの中でどちらかというとネガティブな要素だったかもしれないわけですよね。それでも他の打楽器ではなくて、チャンゴに行き着いた。

 

チェ:民族問題、文化問題からとにかく距離を置きたいと思っていたけれど、それは理性の話で。でも感情とか体の根っこの部分でチャンゴが僕のことをギュッと捕まえてくれたのかもしれないですね。両親から「あなたがチャンゴを叩き始めたのは、コリアンとしての血かもね」と言われて、言葉がでなくなった記憶があります。

 

聞き手:何か猛烈に、チェさんの中で結びつくものがあったんですね。そして、そのチャンゴを通して韓国の土着性や文化について改めて肌で学びたいと思ったと。

 

チェ:はい。さらに、それには前談があって。仕事で大阪へ行った帰り、試しに熊野古道の山道をリュック背負ってチャンゴ担いで叩き歩いて見ました。人生初の山道を叩き歩き。そしたら、これがもう面白すぎたんです。あんなに地下の室内でこのリズムは山間部で生まれたものだから跳ねる!とか教わって、その「跳ね」が全然理解できなかったのが、山道登ったら、自然とそのリズムになったの。なんだ!これか〜!と思って。

 

聞き手:おお〜!

 

チェ:それまで叩いてた新宿アルタ横や舞台やスタジオと違って、自然の中を歩いていると突然坂道が現れたりして。急な環境変化で叩けなくなるかと思いきや、逆にそれまで以上に楽しく叩けたり。リズムが先生の言っていた通りになったんだよね。ここで右手うまく入るじゃん!あんなに頭でっかちに修正かけていたものは...何だったのか...と。

 

上りの山に入ってチャンゴを叩いた時に、一発で思い描いた音が出て。そして坂を上り切って平地に出たら自然とリズムが変わった。おおそうか、上りと平地で全然違うんだ、地面の形状で自分が叩いているリズムが全部変化する、つまり『地面に自分が影響されている』っていうことを実感しました。それからより一層、韓国の太鼓を叩いてるんだったら、韓国を叩いて歩いてみたいと思いました。そして、チャンゴウォークの準備を少しずつ始めていったんだよね。

 

聞き手:地面の形状とそれに付随する体の動き。そこから生まれるリズムの根源。いよいよチャンゴウォークの真髄に迫ってきた感じがしますね。

 

チェ:その時はまだチャンゴウォークって名前もつけていなかったけどね。とにかくフラットな地面では無いところ、自然の隆起がしっかりしたところで、「自分と太鼓」だけでは無くて、さらにそこに地面、木、川、石、そういういった対象物に囲まれる環境の中で太鼓を叩く練習をしなきゃダメなんじゃ無いかなって。

そうこうしているうちに、仲間で木蓮のファンで居てくれた友人、ちょもさんに叩き歩きのイメージを話したら、「チェ君は韓国人だけど、日本人だよ。だって韓国のこと知らないでしょ。日本で生まれ育ってるけど日本のことだって知ってるの?」って言われて。「韓国のいろんなところを太鼓叩いて歩くのもいいけどさ、それ家からやろうよ。せっかく日本に生まれ育ったんだから日本のことも知ったほうがいいよ」って。それを聞いてそうか〜と思って、とにかく家から始めてみようと思ったわけです。それで、選んだのが旧東海道をまずは歩ききるところから始まっていった。

 

聞き手:ご友人のちょもさん、すごい知見の方ですね。チェさんの背景を全部知った上でのことですものね。

 

チェ:いやもう、本当によく僕のことを見てくれてたんだと思うよね。そいで家からスタートするとこから、映像で記録に残したいとまで言ってくれて。本当にありがたいよね。

 

2009年第1回チャンゴウォーク 東海道五十次

 

聞き手:さていよいよ始めてのチャンゴウォークが始まるわけですが、初めてだらけの叩き歩き旅。どんな旅路だったのでしょう?

 

チェ:とにかく始めて挑戦するもんで、それまでテント担いで長い距離を歩き続けたり、一人で野営をしたことなんてなかったから…(笑)初日は都内から鶴見の公園まで移動してテント張って寝ようとしたんだけど、もう怖くて一切寝れない。2日目の夜も全然寝れなくて。で、夜寝れないってことは昼間寝るしかなくて(笑)。歩き旅の仕方が全く分からないのね。何日間かして江ノ島までたどり着いたんだけど、今度は風が強すぎてテントが立たないんですよ。寝れないし疲労も限界だしで、体調悪いと爪が剥がれるんだけど、その症状も出ちゃって。意気揚々と出発したけど4〜5日目くらいでもう無理だーとなってしまいましたよ。そこから近い茅ヶ崎の知人の家で少しお世話になり、本当に助かったと思いました。

 

聞き手:電車で行ったらほんの1〜2時間の距離で、ノックダウンしたと(笑)

 

チェ:そうなです(笑)歩き旅の中、テントをどこでどうやって張ればいいか、風の向きがどうかっていうのがゼロの時はわかんないんだよね。でもやってみないことには始まらないからやってみるんだけど、正直ストレスしかなかったです。(笑)今、思い返せば、楽に対処できる方法は、たくさんあるのに、歩き始めの頃は慣れなかったなぁ、夕方から始まるテント張れる場所さがし。

 

聞き手:(笑)

 

チェ:そいで茅ヶ崎の家で渡されたのが江戸時代の歩き旅の人たちの本。当時東海道を往来する人たちのスピード感って凄まじくて、東京から大阪や京都まで大体2週間くらいで到着していたみたいで。1週間近くかけて茅ヶ崎で沈没している僕と比べたらもう(笑)、超絶早いわけなんです。それは現代人よりも健脚だったっていうこともあるけど、それだけではなくて。今って基本的には車とか電車移動が前提になってるから、歩いている人の移動のためのインフラが無いと思うんです。昔は移動や旅行=歩くだったから、今のコンビニの数よりも街道には茶屋とかがあったらしくて。だから歩き旅の人にとって易しい環境が整っていたっていうのも背景にはあったのだろうと。まぁ、恥ずかしながら、いずれにせよ茅ヶ崎の時点で僕は一度挫折したわけだけど(笑)

 

聞き手:でもよくそこからまた復活しましたね…

 

チェ:なんとか意地でね(笑)横浜の時点でお湯沸しセットとか不要なものは、全部家に送り返して。重いし近くにすぐコンビニもあるからそもそもいらないわけですよ。

 

聞き手:確かに。

 

チェ:その後、当然順調に、とは全く言えない旅路だったけどもとにかくトコトコ西の方に向かっていって。なんとか京都まで辿り着きましたね。

 

聞き手:旅を終えてチェさんが感じた変化はどういった点でしょう?

 

チェ:とにかく体つきが変わったこと。山間部の多い箱根〜京都までの道中でお尻の上の筋肉がものすごく発達したんですよね。で、翌年京都〜博多間の旅路では逆に体重が一気に落ちたの。山陽地方の道中は砂浜沿いが多かったからそれに体が適応したんだろうね。これは面白い現象が起きたなぁと思った。体つきさえ変わるくらいなら、リズムも当然変化するだろうと。

 

聞き手:リチャンソプ先生が伝えようとしていた「土地のリズム」に、グッと近づきましたね。

 

チェ:本当にそう。パーカッショニスト同士で、リズムはどこから来るのかってやりとりをする時に「その土地の言葉、方言から来ますよねぇ」って話によくなるんだけど。じゃぁ、その方言はどっから来るのか。僕はそれは気候・風土なんじゃないだろうかと思うわけです。それが砂浜なのか平野部なのか、山間部なのか。土地の形状が人に与える影響は凄まじくて、その気候・風土から学び取っていくリズムが自分を成長させてくれるんだろうなぁと、チャンゴウォークを通じて感じてたかなと。

 

聞き手:演奏者としては何か変化があったのでしょうか。

 

チェ:2009年、2010年を経てもまだ叩き踊りなんて出来てなかったけど、それでもこういう土地に対してはこのリズム、翻ってこの演奏に対してはこのリズムっていう、場面場面での対応ができるようになったかなと思う。

今やってる叩き踊りの基礎が出来てきたのもこの時だと思う。そもそも、歩きながら叩けないと踊れないわけで、足をどう体重移動させるかで上体が連動してくるから、足の使い方が成熟していないと無理なんだと思いますよ。

 

あと、強烈だったのは現地の人との出会い。ミュージシャンが面白い人に出会う時って、大概同業者とか関係者だと思うのね。でも歩き旅していると訳のわからない面白い人たちが山のようにいると。その人たちと出会って、そもそもなんで太鼓叩いてんの?って話から始まって、いろんなコミュニケーションをとれたっていうのが大きな財産だと思う。移動する中でちょっとずつ方言が変わっていくのも分かるしね。

 

 

チェ:あと面白いのが、静岡県に入って静岡市を歩き始めると、彼らは浜松市の人たちのことをほんっとうに「嫌い!」って言ってて、で、浜松の方に入っていくと今度は彼らがあの駿府の奴らは「信用できない!」といっているのを聞くわけです、高確率で。(笑)。外の人間からしたら同じ静岡県民なのにって。

 

でも、中にいる人たちほど一個のカテゴライズをされたら問題が出てくる。静岡県だけじゃなくて、いろんな場所の峠や川の手前や向こうとで「向こうの連中は〜」みたいな話をよく聞くんだよね。状況がわからない人間からすると差別発言に聞こえるんだけど、でも内部の人間からすると自分らが自分らとして、その土地で生きていくアイデンティティを、しっかり保っているという意味だから、差別でもなんでもなくて、それこそ多分リズムが生まれてくるエキスなんじゃないかなって、肌で感じましたよ。

 

それは自分が在日コリアンで生まれてなかったら、ニューカマーであろうと現地韓国人であろうと「みんな韓国人でしょ?」って一言で済むのと一緒で。自分らは在日とか朝鮮半島ルーツのカテゴライズの中で生きているから、なんとか自分らを保とうとして区別して言い分けるんだよね。そこで問題意識を変にもたなくてもいいんだな、みんな一緒なんだなぁって。

 

聞き手:日韓どころか、同じ県民内、もっというとすぐ隣村同士間でも似たようなことが起きていることだったんだ、と。チャンゴの技術会得だけでなく、自分の文化背景やルーツにも出会う人々とのやりとりを重ねて歩を進めて行ったんですね。

 

チェ:そうそう(笑)さっきアイデンティティがリズムを生むっていったけど、そんな話を土地の人としていると、最終的に祭りの話になって。大抵あそこの太鼓はうるさいだけだ、とかあっちの笛はのんびりしすぎて間延びしてる、とかね。そういう話に大体繋がっていくわけでして...(笑)

 

聞き手:あはは、なるほど、すごくわかりやすい(笑)きっと隣同士だからこそ競い合ってしまうのでしょうね。

人と人との文化や気質の違いがリズムによく現れていて、そして当然それは土地の形状や歴史背景に起因されているということを、ゆっくり歩きながら感じて行ったんですね。

言葉にすると簡単ですが、肌で感じていったというところが本当に凄いと思います。

 

チェ:だから、やっぱり韓国へ行かなきゃなぁと思いましたよ。韓国の土地を移動しながらその地の人たちと話したり食べ物を食べたりして吸収しないことには、チャンゴをやるのは難しいだろうなぁと改めて感じたんだよね。

土地の違いを人と対話しながら一歩一歩、少しずつ吸収していく。自分のアイデンティティを作ろうとしている人がここにいたとしたら、その隣にいる人、またその隣にいる人と数珠つなぎみたいに触れていく。自分が何か対象について語りたい時に、その対象の枠を小さくとるのか大きくとるのかで、見え方は全然変わってくるだろうなと。

 

チャンゴは韓国の太鼓なんだけど、道端で出会った子供たちに「それ何叩いてんのー?」って聞かれて「日本の太鼓だよー」って答えたりして。そしたら「えーっそうなんだーすごいすごーい」とかいって、ふざけたりね。(笑)

 

聞き手:(笑)

 

チェ:子供にとっては日本とか韓国とかじゃないんだなって思って。韓国の太鼓だから凄いんじゃなくて、夏の暑い中で真っ黒になって麦わら帽子被ってリュック背負って歩いて太鼓叩いてる人の、その太鼓のリズムが愛おしいっていうか。その姿にみんなが触れて、面白さや感動が伝わっていくのかなーと。自分が勉強したいから歩き始めたんだけど、いざ旅を始めると、本当にいろんな人がよくしてくれて。赤の他人なのにすごく良い経験を沢山させてもらえて。

 

聞き手:韓国人だから、日本人だからじゃなくて、太鼓叩いてただ一人歩いている自分を、チェさんというアイデンティティを、みんながよくしてくれたというのは、なんだかとても嬉しいことですね。

 

チェ:そうなんだよね。そもそも僕が叩いているリズムってなんだろうって考えた時に、4〜500年前くらい昔のものなんですよ。そんな昔の人たちの生活様式、特に移動手段。自転車も車も電車もない、とにかく歩いて移動していた時代の時に生まれて発達したリズムを今自分が叩いているっていうのであれば、自分も歩いて移動して、その中で情報交換を土地の人たちとして、自分の中に芸の糧をどんどん入れていく。そういうことをチャンゴウォークとしてトライしてみたいんだと思う。

 

聞き手:ありがとうございます。なぜチャンゴなのか、そしてチャンゴウォークなのか。チェさんの活動の根源にぐっと迫ることができました。2015年のチャンゴウォークではその後、ついに博多から釜山へ船で渡り、祖父の故郷ソンジュ(星州)まで歩き着きます。また以後富士山の叩き歩き登頂や三陸歩破など、活動を拡張させて行きます。太鼓のリズムと共に自身の足で音の地図を広げていくチェさん。その際の記録はこちらから確認できますので、どうぞご覧ください。

 

チェ:ありがとうございました!このインタビュー記事公開時には韓国太鼓奏者チェ・ジェチョルの、集大成とも言えるPVが公開されます。今回の記事で触れたチャンゴウォークの中で感じ取ってきたものや想い、チャンゴという楽器やリズムの特徴が表現されている楽曲となっておりますので、是非是非ご覧ください!

"Wait, This is a good spot."
At first glance, there were nothing, nobody, and even the traffic of people had faded completely at the old Tokaido in the mountains of Suzuka.
The next moment I was walking on the mountain road while chatting, I was suddenly stopped by him.
I imitate the pretense of closing my eyes and searching for something, and while being puzzled, I also listen.
Then he started to sound the Changu drum sirently.
A delicate drumstick handling and a flowing sound like "Tara Rara ...". It sounds like water.
The sound of water suddenly comes into focus through the sound of drums.
When I glanced at it, there was a stream that I hadn't been aware of before.
The stream meanders and creates a quiet, intricately intertwined stream of water.
"Here. There is a straight fast flow and a curved and slow flow. And the flow hits the wall and swirls.
The combination of the three sounds here is super. It's a great instrument, isn't it? ", And he begins to accompany it comfortably.
When I noticed, the sound of the trees swaying in the wind, the sunbeams dancing, and the ensemble with everything on the spot began.
The place was full of multi-layered sounds as if a small outdoor concert was being held.
Like as people enjoy the transition of the visible scenery during their journey, he is sensitive to the world of the sounds of the land.
He is a person who travels the world as if drawing a map with sound.
I've met a great person ..., I shooked with the moment.
It was when I touched Choi Jeachol's mysterious talent.

Born in Osaka in 1977 as a third-generation Korean resident in Japan, he is currently active as a Korean drum player in Japan and abroad.
Choi Jaechol, who travels by walking with Changu which is a traditional Korean drum, entitled Chango-Walk.
He walked fifty-three Stations(Tokyo to Kyoto) of the Tokaido which is the old main road at Edo era in 2009. Crossing West Japan (Osaka to Fukuoka) in 2010,
Then, in 2015, after a total of about 700 kilometers from Tokyo to Osaka, Fukuoka, and Busan to Seongju, he reached his father's hometown.
After that,2016 Tokyo to Mt.Fuji.
2017 Mt.Fuji climbing, and 2018 Ofunato to Hachinohe.
In this article, you will see why he met Chango and why he started  Chango-Walk through this interview.


▼ Setback in school days and encounter with Changu

Interviewer: During the 2015 old Tokaido Chango-Walk, I accompanied you for five days on the way, but I have never been so sensitive to the "sound" that surrounds me in my life. When Choi stopped silently in the mountains of Suzuka and started to listen to something, I wondered if there was a beast at first.

choi: Haha. I've been there twice so far, but it's still a good instrument.

Interviewer: I really thought that I met a strange person at that time !
In this interview, I would like to get a closer look at the background of Choi's activities, but in the first place, Choi's encounter with Chango Where was it?

Choi:
I attended a Korean school in Tokyo from elementary, junior high and high schools, and I've ever listen to the music teacher's Changu performance there. But I didn't think it was so cool at that time because of the mechanical rhythm, and I wasn't interested in it.
After that, I went on to a Japanese university as it was without any contact with Changu. At university, I was enthusiastic about remaking Japanese clothes, and I was aiming to become a fashion-related student entrepreneur with my friends at the time, without any job hunting. However, I was a student, so it didn't work out and I was setback.

I happened to see the movie "Dancer in the Dark" while I was already suffering from job hunting in time. I was very impressed by Bjork's performance of hitting and dancing to the rhythm in her dreams in a difficult life. I think I was overlapping myself. After that, I watched it over and over again, and I thought how rhythm is beautiful. Looking back, I thought there was a Korean percussion performance that my parents took me to when I was little, so I went to a CD shop near Shin-Okubo where I lived at that time. Then, when I heard Kim Doks' Korean percussion music "Samulnori", I was even more shocked. The next day, I went to buy Changu even though I had no experience. About 5 days after I met the movie.

Interviewer: I can see how shocking the encounter was. Even though you had no experience, it's quite a driving force to go buy an instrument immediately.

Choi: It is. I was almost obsessed with that.
I think that I wanted something that would be my rock because the project I had put all my efforts into when I was a student had failed. I think the existence of the Changu that snuggled up to the body was a tool, a companion, and salvation for me.

▼ Street performance next to Shinjuku Alta in the early 20s

Choi: But since I only listened to Janggu on a CD, I didn't know how to handle or hit the drumsticks, and I didn't know what I was playing or how. I consulted with the shop staff and asked them to introduce the Samulnori team of the Korean Dance Institute in Higashikurume.
While I went there, I continued to practice independently, but the studio fee I rented for that was expensive for me as a part-time job worker. I went around looking for a place where I could play outside and finally found it next to Alta at the east exit of Shinjuku Sta. At that time there was a movie sign and I started practicing under it.

Interviewer: Whaat? at Shinjuku Alta!? Didn't the police warn you?

Choi: I was fine because the surroundings were already noisy (laughs) I practiced there until the last train. Even though I was practicing, I didn't understand the rhythm at all. I just relied on what I heard on the CD and the basic rhythm that the team taught me.

Interviewer: Even though you didn't have the enough skills to play it…?It's amazing.

Choi: Rather, there was a sense of security that the sound of cars coming and going, the crowds of the city, and the sound of the drums I hit overlapped.
I think I felt something that is inner power was well connected to Chago. And I was able to talk with various people, such as those who are playing in Shinjuku, going to work in the business, triggered by Chango.
At one point, a long black Mercedes-Benz stopped in front of me, and when I thought that the window had opened, a man yelled at me, "Shut the fuck up!" I thought I made him angry, but Immediately after that, I was encouraged by his saying, "Do your best, man!".
And another day, an unfamiliar woman who heard my drumming in a taxi said to me, "I understand you!" I wasn't sure what she "understood".But it encouraged me so much.

Interviewer: I think there was something that people on the road could sympathize with through sound.

Choi: There were people of various races, circumstances, and feelings in Shinjuku, so I could connect not only with my own feelings but also with the feelings of the other person with the sound of drums, and I could communicate with them. I think there was such an aspect.

▼ Explore the background of Chango

After that, Mr. Choi was introduced to Mr. Richansop, a third-generation resident of Japan who had just returned from Samulnori training, and decided to take lessons in earnest. In addition to performing with the teacher, he incorporated western instruments such as guitars, pianos, and drums into songs based on the rhythm of Chango, and formed a band "MOKUREN" with friends he met while drumming outside. The band performance activities were also started at centering on live houses in Tokyo. He was more and more fascinated by the possibilities of Chango.

Interviewer: It has gradually led to Choi's current activities, but has the current style of drumming dance already been established at that moment?

Choi: No, not at all. Until then, I was basically taught to sit style, and playing Chango live was simply standing style. Samulnori is a work with a strong regional character set in folk performing arts such as Korean agricultural music (Pungmul), and I learned it one by one, but the place I learned was the moldy smell basement room in the Kitasenju. So, even if a teacher said that this song needed to play with the bouncing rhythm since it comes from the mountainous area around Busan, it had not given me any images. While I was struggling with it, the class by Dr. Richansop was disbanded. It was a time when I met Kiyohiko Senba and other top players in the music industry while continuing to play in the band, so in order to sublimate my Chango performance, I thought I had to find a new teacher and become a disciple.

Interviewer: You have reached a major turning point in terms of your performance, technology, and the surrounding environment.

Choi: That's right. After that, I was blessed with a great opportunity to co-star with the butoh dancer Min Tanaka at "Somushi" in Kyoto. and I totally impressed. I tried to show my everything I had done so far, but it didn't work at all in front of Mr. Min.I realized that I had no power and no art. I was 27,8 age at that time.
When I consulted with Mr. Genbei of "Somushi" about how Mr. Min established the current expression, He told me that Mr. Min was originally a ballet dancer. And he said Mr. Min started by going back to the mountain of Yamanashi and making a well to understand what the dance is. I was shocked to hear the story of Mr. Min started from digging a hole and entering the soil to understand what dance is.
I'm facing Chango from the perspective of playing music, but I needed to ask myself what is Chango, what is Korean rhythm, what am I touching? The question became very big in me.

Interviewer: Your interest in the Chango and its rhythm had been increased gradually.

Choi: The origin of Samulnori, Pungmul, is the art of tapping a drum while walking house to house. In addition, Samulnori teachers two generations ago, people called Namsadang, basically walked around Korea.
Mr. Richansop, who I was learning, was a disciple of Mr. Rigans, who was Namsadang, and was a driver. Mr. Rigans was drinking and sleeping in the back seat of the car, but he said "Next, left" and "If you go a little further, right" without looking at the road sign.

Interviewer: What an amazing. You mean, he had knows the way clearly even though he wasn't local?

Choi: That's right. Mr. Rigans used to be Namsadang, so he was walking around there as well. That's why he recognized the land by the shape of mountains or bridges. Korean rhythms created by those people. I was taught by Dr. Richansop that 'That is Samulnori', so I thought that this wouldn't start unless I walked Korea for playing Chango.

Interviewer: You wanted to travel to re-encounter Chango while learning about the roots of Korean culture through your body and musical instruments.

Choi: That's right. It's not like enrolling at Seoul National University and studying. My grandfather was born on the Korean Peninsula, so I'm sure my blood is Korean, but since I was born and raised as a Korean in Japan, I have never lived in Korea. That's why I came up with a trip to Korea to learn about Korean culture while walking.

Interviewer: By the way, have you ever been to Korea or wanted to go until you met Chango?

Choi: There was none at all. Koreans living in Japan, newcomers, naturalized people, Genchan local Koreans), North Korea. The blood is the same, and the roots are probably not so different, but depending on where you live, various people were categorized in a place different from their own thoughts and lived a difficult life. This is the background of Japanese Koreans living in Japan. That's why I just wanted to keep a distance with this cultural problem.
And that's why I was thinking of going to a Japanese university and then living as a "Japanese" while making Japanese clothes as a job. If I did not encounter Chango, I think I had chosen to live in Japan as a Japanese. So I didn't even think of wanting to go to Korea before.

Interviewer: That means that Janggu was also a rather negative factor in you. Still, you ended up in Chango, not another percussion instrument.

Choi: I just wanted to stay away from ethnic and cultural issues. But Chango may connect tightly in my emotions and at the root of my body.
In Korea, it seems that such a thing is often called Jeongseo emotion).

Interviewer: There may have been something fiercely connected to you and Chango. And you wanted to learn about Korea and its culture through the Chango.

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