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​アジアに広がる音の地図

CHANGO WALK インタビュー

太鼓を叩き歩いて2500Km

チェジェチョルの旅の原点に触れる

聞き手 高橋亜弓(郷土芸能ライター)

2021年 2月 22日

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挫折から始まったチャンゴウォーク

聞き手:今でこそ勝手知ったるチャンゴウォークと思いますが、最初はどのようなスタートだったのでしょう?

チェ:それまで10kgを超す重たい荷物を背負って歩き続けたり、テントで1人で寝たりしたことなんてなかったから…(笑)初日は公園でテント張って寝ようとしたんだけど、怖くて一切寝れない。2日目の夜も全然ダメ。何日間かして江ノ島までたどり着いたんだけど、今度は風が強すぎてテントが立たず。寝れないし疲労も限界だしで、意気揚々と出発したけど4〜5日目くらいで一時挫折。そこから近い茅ヶ崎の知人の家で少しお世話になりました。あの時は本当に、助かったと思いました。

聞き手:電車で行ったらほんの1〜2時間の距離で、沈没…。

チェ:そう、もう本当に困ったもんです(笑)でもそこでお湯沸しセットとか、コンビニでカバーできるものは全部家に送り返して。荷物の最適化を図りながら何とか歩を進めていきました。それでも日が照る中1日30km近く叩き歩くのは大分過酷だったわけですが、ここでチャンゴに救われたんです。


自分の体調とか想いとは別な所で、チャンゴを叩いているとカラダが自然と励まされて、前に前に進めさせてくれる。つらい時こそ楽器に励まされてしまう。しんどくて嫌なら辞めれば良いのに、自分の打ち鳴らすリズムで勝手にカラダが動いてしまって、やめられなくなる。そんなことを繰り返していると段々、ネガティブな気持ちが吹っ切れて、無心になってくるんですよね。それに随分助けられました。

チャンゴとの出会い直し

聞き手:それは、チャンゴの楽器としての特性なんでしょうか?

チェ:(大きく頷いて)僕にとっては、笛、ギター、和太鼓…他の農楽の楽器でも難しいと思います。

そもそもチャンゴは移動に適した伝統楽器なんだということを旅の中で改めて痛感しました。

 

ムーダン(巫堂)と呼ばれる、古来のリズムを受け継いでいる韓国のシャーマンファミリーの方達は、チャンゴ(杖鼓)の事を、サンスクリット語で「アンデミ」と呼んでいたりします。

世界の色んな文化は、完全に土着なものもあれば、別地域の文化から影響され混ざり合って、その土地でカタチ作られて行ったものが多いと思います。楽器の歴史的研究からみて、どの楽器がチャンゴのルーツであるか?ということは、僕は断言できないけれど、古くからチャンゴによく似た太鼓がインドで演奏されている事実があって、シルクロードで交易があった時代から、文化や楽器、そしてリズムも東アジアを往来していたのかなぁ~と思うと、世界観が広がりますよね。

チャンゴは昔、旅する放浪芸能者たちが用いたセヨゴ(細腰鼓)と呼ばれる太鼓から派生した楽器と言われています。
楽器が大きいと移動しながら演奏するのは難しいですよね。セヨゴは「移動と演奏」に特化して改良されていった楽器で、チャンゴにもその要素が詰め込まれているという背景を、チャンゴウォークの中で日々再確認していきました。

余談だけど、京都の三十三間堂に置かれている緊那羅王(キンナラ)像も、鼓を担いでますよね。

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インド、パキスタンの担ぎ太鼓:ドール Dhol(写真 左)

緊那羅王像 京都三十三間堂 鎌倉時代作(写真 右)

聞き手:チャンゴって腰紐と肩紐でしっかりと体に寄り添わせて固定するから、いわゆるマーチング用のドラムより遥かに太鼓との一心同体感が強いですよね。重心も安定するし、叩くと太鼓からというか、太鼓を含む自分から音を出している感じというか。私も一緒にチャンゴを叩きながら歩かせていただいた時、そんな風に感じていました。
ちなみに熊野で感じたような、その土地の地形や環境ならではのリズムや音探しを、チャンゴウォークの中ではどのように実践して行ったのでしょうか。


チェ:触れたことのない土地や人と出会った時に、自分の体とチャンゴでどんなハーモニーを作れるのか、とにかく毎歩毎歩確認してました。
アスファルトでの歩き方、砂浜での歩き方、山、田んぼのあぜ道、川沿いや森、都市。自分の置かれた状況を、音楽的にどう解釈してチューニングしていくか。

自分が置かれている環境に、どれだけ適応して行くのか?山ではビーチサンダルよりもトレッキングシューズを選ぶよね、みたいな感じで。
確認要素としては、足場や地域環境、天気、時間、人の有無、その時の気持ちや体調とかですね。
体調っていうのも歩き旅の中ではかなり大きな要素。ずっと歩いていると当然足が痛くなってきます。だから今日は右足を労わるような歩き方=リズムにしようとか、そういう発想もありましたよ(笑)

聞き手:毎日一日中歩いていれば、そうですよね…。中でも印象に残っているところはありますか?

チェ:やっぱり箱根界隈の旧道かなぁ。江戸時代から残っている石畳の山道で、石や岩の形状が一つ一つ違っていて。特に印象深いのが芦ノ湖から三島(静岡県)への道。それまで厳しい登りだったのが今度は下りになっていく。そもそも滑りやすくて不安定な道なんだけれど、2009年では前日雨が降って余計おっかなかった。それを試行錯誤しながら進んで行って気づいたのが、一歩ずつゆっくり進むのより、むしろ走り抜けた方が安全だってこと。

実は韓国のリズム、特にサムルノリは、前のめりなリズムと言われていて、西洋楽譜的には表現できないようなんですね。僕はそれが座奏では体得できなかった。でも、箱根の下り道で走りながら叩くことで、全く意図せず「転がるリズム」を気づかせてくれたんですよ。

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箱根旧東海道 石畳
箱根~三島につながる山道を、敷き詰められた石や岩を踏みながら歩くことが出来る旧道。江戸時代の旧東海道で現存する数少ない石畳の道

もうひとつ挙げるなら富士山登頂後の下山ルート「大砂走り」。行ったことある人は分かると思いますが、上手く滑り降りられれば原付バイクくらいの速いスピードが出るんです。そして一歩が3m越え。一歩、3mなんです!あの時、生まれて初めて一歩で二打、空中で叩けました。もはや飛びながら叩いてるみたいな(笑)本当ならあり得ない滞空時間だし、それだけのスピード感の中でも、爆走しながら叩けるチャンゴっていう楽器の機動力の高さには心底驚きました。自分が思っているよりずっと躍動感あふれる楽器なんだと気付かされましたね。
 

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富士山大砂走り
御殿場ルート下山道の7合目から御殿場口の入り口太郎坊まで、厚い火山灰地で「大砂走り」と呼ばれている。宝永火山噴火(1707)の際、降り積もった火山灰がクッションのように柔らかく、高速で下山ができる。

聞き手:チェさんの面白いところは、小手先で技術を体得するのではなくて、環境を受け入れる中で自然と生まれたものをそのまま取り込めるところですよね。楽器の声を聞くのが本当に上手いというか…。

チェ:何が正解とかはないけれど、リズムが生まれる原点にアクセスしてみたかったというのが一番大きな理由だと思います。
そもそも僕が叩いているリズムは、諸説あるけど、数百年前くらいは遡れるようです。そんな昔の人たちの生活様式、特に移動手段を真似てみる。自転車も車も電車もない、とにかく人が歩いて移動していた時代に生まれたリズムの根源を感じてみる。先人たちはどんなふうにリズムを体感して体得したのか、思い描いてみたい。本当にお絵描き、リズムや音で地図を描く行為なんだと思います。

聞き手:音の地図を描いて累計2500キロ。ただただ太鼓を叩きながら歩く、という一見シンプルな姿からは想像できない情報量ですね。

チェ:そうですね。ライブハウスで演奏会をするとなると、合わせる(チューニングする)ものが音程や音量といった「音楽をつくる」ことがメインになってくるんです。でも屋外を叩き歩いていると、チューニングする対象物が足場の状況、風土や環境とか、色んな要素が出てきて、スケール感がより一層広がると思ってます。

これは感じ取ろうとしなければ全く見えないものなんだけれど、だからこそ、そこで何か探っていくということが、センスを養うことに繋がると感じてます。チャンゴウォークを経て、こういう土地に対してはこのリズム、翻ってこの演奏に対してはこのリズムという、場面場面での対応ができるようになったと思います。今の叩き踊りの基礎が出来たのもこのおかげだと思います。

 

そもそも歩きながら叩けないと、踊れないし、足をどう体重移動させるかで上半身が連動してくるから、足の使い方がしっくり来ていないと難しいんです。チャンゴウォークでは、そのあたり猛烈に鍛えられましたよ。

「土地」から生まれるリズム

聞き手:チャンゴウォークごとに身体の変化も大きかったそうですね。

チェ:2009年の山間部の多い箱根〜京都までの道中ではお尻の筋肉がものすごく発達して全体的にガッチリした体型になりました。そして翌年京都〜博多間の旅路では逆に体重が一気に落ちた。山陽地方の道中は砂浜をよく歩いたからそれに体が適応したんだと思います。これは面白い現象が起きたなぁと思いましたね。体つきさえ変わるくらいなら、リズムも当然変わるだろうと。

聞き手:まさにリチャンソプ先生が伝えようとしていた「土地のリズム」に繋がりますね。

チェ:本当にそうだと思います。パーカッショニスト同士で、リズムはどこから来るのかってやりとりをする時に「その土地の言葉、方言から来ますよね」って話によくなるのだけど。ならば、その方言はどっから来るのか。僕はそれは気候・風土・環境なんじゃないだろうかと思います。それが砂浜なのか平野部なのか、山間部なのか、それとも都市なのか。土地の形状が人に与える影響は凄まじくて、そこで学び取っていくリズムが自分を成長させてくれるんだろうなぁと感じてました。

「人」から生まれるリズム

チェ:それから強烈だったのは現地の人との出会い。ミュージシャンが面白い人に出会う時って、大概同業者とか関係者が多いかなと思うんです。でも歩き旅していると、予測が出来ないというか、訳のわからない面白い人たちが山のようにいるんです。その人たちと出会って「そもそもなんで太鼓叩いてんの?」って話しから始まり、いろんなコミュニケーションをとれた事が大きな財産だと思います。移動する中でちょっとずつ方言が変わっていくのも分かりますしね。

2009年、静岡のある峠の集落を通りかかった時に「お兄さん、太鼓叩いているんだったら、今日ここで叩いて!」と呼び止められたのは、年に一度の村祭りの日でした。隣の集落から、獅子舞が来るから一緒に叩いて賑やかして欲しいとの事で。夜7時、軽トラックに大きなスピーカーを積んだお囃子隊が到着。なにやら笛吹きが欠席で、今日は代わりにCDをかけながら獅子舞を行うとか。ほう、どんな地元囃子のCDかな?と興味を抱きながら、出番を待ちました。

「さぁ行きましょう。」との合図で獅子舞開始のCDスタート。田舎の集落に爆音で鳴り響いたのは、お囃子のCDでは無く…


なんと「QUEEN」の『I was born to love you』でした(笑)

これで獅子舞するんですか?僕も一緒に叩くんですか?の質問に、ひとこと「完全即興だから」と返されて... スピーカーを積んだ軽トラで家々を回り門付けをして、神社にも奉納演奏。その間、ずっとQUEENの曲が流れていました。びっくりを通り越して笑いましたよ。

その日、チャンゴを叩いて欲しいと、僕を引き留め家に泊めて下さった集落のおばあちゃんの言葉が記憶に残っています。

「となりの集落の人達は、やることが派手で、全然、分からないのよね(笑) 峠向こうの人達も、全然こっちの集落の人達と違うの、話す言葉もちょっと違うし。でも、良いわね、賑やかで。太鼓は縁起物だから、大切にしてね。」

いろんな場所の峠や、川の手前や向こうとで「向こうの人らは〜」みたいな話をよく聞きました。「あそこの太鼓と、うちらは全然違う~」とか、「笛の音が、なんか違う~」とか。僕なんか、状況がわからない人間からすると不思議に聞こえるんだけど、でもそれぞれの地元の人間からすると『自分らが自分らとして、その土地で生きていくアイデンティティをしっかりと感じてる』ということで、それもリズムが生まれてくるエキスなんじゃないかなって感じてました。

聞き手:地域間での人の気質の違いがリズムによく現れていて、そしてそれが土地の形状や歴史背景に起因されているということを、ゆっくり歩きながら感じて行ったんですね。言葉にすると簡単ですが、肌で感じていったというところが本当に凄いと思います。

チェ:ある人(町)に出会ったら、その隣にいる人(町)、またその隣にいる人(町)と数珠つなぎみたいに出会い触れていく。その中で芽生えるものを、自分の芸の糧としてどんどん取り入れていきたい。それを見つける旅がチャンゴウォークなんだと思います。

2009年東京を出発して、2015年韓国星州(父方故郷)に辿り着くまで、本当に色んな人と出会い、たくさん対話をしてきました。そこで一番強く感じ取ったことは「その土地のニオイ:味」。それぞれ一個人の性格は勿論あるけれど、話すスピード、テンション、そして間の取り方が、地域ごとに分かれてて、それぞれ独特な『味』を感じました。

飛行機に乗って外国に出かければ、別の言語を話しているから、その味を把握しやすいですよね。僕の場合は、ゆっくりとした移動をする歩き旅で感じられる、土地のニオイが変化するグラデーションを受け止めつつ、その都度、その場で自分がどんなリズムを叩けるのか。そこにフォーカスを置きながら、一歩一打、叩き歩きの旅を進めていました。

太鼓叩きとして、自分が完全オリジナルで作ったリズムを演奏するのではなく、その土地や地域、国や民族のリズムをベースにして音楽を作っているということもあって、それぞれの土地でお喋りして感じた『味』が自分の音楽作りの根っこになっています。

それぞれの土地で感じた断片的なエキスを、一つ結晶化して自分が叩き踊る「ソルチャンゴ」に少しずつ積み重ねて行っているんだと感じています。

最後に

聞き手:ありがとうございます。なぜチャンゴなのか、そしてチャンゴウォークなのか。チェさんの活動の根源に迫ることができました。2015年のチャンゴウォークではその後、博多から釜山へ船で渡り、祖父の故郷ソンジュ(星州)まで歩き着きます。海、山、川、平野、村、街、田舎、都会、アスファルト。バックパックを背負って、色んな土地を歩きながら、祖先のルーツである土地を目指し、そして太鼓の源流を探し求めた旅。帰国後もさらに富士山の叩き歩き登頂や三陸歩破など、活動を拡張させて行きます。太鼓のリズムと共に自身の足で音の地図を広げていくチェさん。その際の記録はドキュメンタリー映像からご覧になれます。


チェ:ありがとうございました。2月に、韓国太鼓奏者チェ・ジェチョルの集大成とも言えるPVを作りました。今回の記事で触れたチャンゴウォークの中で感じ取ってきたものや想い、チャンゴという楽器やリズムの特徴が表現されている楽曲となっておりますので、是非ご覧ください。

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チャンゴウォーク2015 ドキュメンタリー映像

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チャンゴウォーク2021  MUSIC VIDEO

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