-2015/9/17- 昨日、テグに着きました。昨日のゴール地点영대병원역 ヨンデ病院 2kmくらい前、体のデカイ人が手を上げてこっちに「わぁ〜」と言ってました。よく見たら、イ・ソンス兄(全羅北道コチャン農楽)です。もう、感動を通り越してしまって、笑いました。 数日前、スンファン兄がケンガリで奇襲を掛けてきたから、ソンス兄は彼のメイン楽器の「チャンゴかテピョンソで登場か?!」と内心思ってたんですが、手に持ってたのはオンリービール。 『出迎えはこれだろ〜!』と、いきなりビールを渡されて皆で道端乾杯。そしてテグの街中をみんなで走り抜けました。
大邱の道端で、コチャンの農楽師と共にチャング叩いて行進していることは、実はとても稀なことだと知らされました。ソンス兄曰く「韓国南側、南北に連なる智異山(チリサン)の山脈を越えて、農楽などその土地の地域芸能者達が、活発に行き来しながら活動することは多くはないかも。都市部ソウルに比べ、圧倒的にローカル色が濃い、西の全羅道(チョルラド)と東の慶尚道(キョンサンド)。特にこの二つのエリアは、強烈な地域性の違いから、交わることが少ないし、自分(ソンス兄)も生まれて大邱に初めて来たよ。今も、ここ東の大邱で、プアン(全羅道)農楽のTシャツ着てるけど、俺大丈夫かな~ 夜だしまぁイイか~!」との事でした。
ソンス兄が私に伝えた言葉を聞いて、チャンゴウォークというアクションをもう一度振り返ってみました。日本から見れば韓国は別の国です。韓国の中で、全羅道と慶尚道は、また別の地域です。そして慶尚道の中で、釜山と大邱(テグ)は、又別の地域であるし、別の文化圏です。
東京日本から西へ歩く旅の途中、土地、気候風土、食べ物、人の雰囲気、人がしゃべる言葉とイントネーションなど、すこしずつ変化していくグラデーションを感じて来ました。そして、その変化を感じるには、共通するポイントを感じ取っているからこそ、微妙な変化を察知することが出来得るとも思いました。自分が住む地域からピョンと飛行機に乗り遠く離れた土地に降り立ち、その土地で感じ取れる異文化は、もはや別世界のようで「違い」ばかりが目立ってしまって、私には自分との共通点を探すのが難しくなってしまうと感じます。
対して歩き旅では、同じ言葉のイントネーション、同じ景色、同じ文化圏の中に自分の身を置き、ジワリジワリと歩く速度で受け取れる範囲の情報から、人や土地、自然と地域文化の違いをゆるやかに感じ取って行けると私は思います。目新しく刺激的な「違い」にばかり目を向けるのではなく、似ていたり「同じ」という心の下支えから、徐々に生まれる変化や『地域のニオイ』を感じる事がチャンゴウォークの一番の魅力だと感じています。
同じことば(日本語や韓国語)を話しているのに、大きな川に架かる橋を渡ったり、山の峠をひとつ越えてみると、ほんの少しずつ変化している人の暮らしや「文化」を感じれる。その文化の「同じ」と「違い」を、歩くスピードで自分のカラダに刻み込んできました。
歩く場が日本から韓国へ移ったとしても、「韓国」や「日本」といった国の区分けで見受けられる大きな共通点と相違点を感じ取りながらも、より小さなグリッドで体感できる文化や『地域のニオイ』を大切に受け止めながら歩き進んでいます。
ソンス兄に大邱で迎えられ、そこからは韓国式 怒涛の酒呑みモードへと発展しました。そしてテグで地元の農楽をしているイム・ホソッさん、再びスンファン兄と合流しました。人の輪がどんどんと広がり、続いて김신효 キム・シンヒョ先生と挨拶し、ちょっと大人な雰囲気の酒屋へと移動しました。이균옥 イ・ギュノッ先生もいらして、先生方と色んな話しをさせて頂きました。大邱(テグ)の方言「가가가가 カーガ、カーガ」(그아이가 그아이니? その子がその子か?)の話しをして盛り上がり、放浪芸能者、朝鮮通信使の話題をしながら、歩き旅から見えてくる地域文化について、深く深く、対話をしていました。再び西の全羅道と、東の慶尚道の農楽師が集う酒屋へ移動。 マッチャン、とても美味しかったです。
歩き旅、なかなかスケジュール通りに進みにくい中、色んな方達が様々調整をしてくれて、今こうして自分はテグで楽しく過ごせている。 本当に、本当に、有り難いです。やっぱり朝まで飲んで、朝一、ホソッさんがテグ農楽の映像を見せてくれました。素晴らしい!人文字を作りながらの굿クッ!農楽の中に、打ち手個々人の技量の見せ場とは、また別の楽しみ方が在ることをしりました。輪で踊ること以外の隊列の上手に使った人文字。感動しました。テグ地域の農楽ビデオ観賞会の後、テグ出身の歌手、김광석 キム グァンソッの道へ移動。今は亡き、彼の歌声が本当に胸をうちました。猛烈で怒涛のテグでありました。明日はついに、目的地 父方 祖父の故郷ソンジュに入ります。
Comments